【読書メモ】〔雨ニモマケズ〕/宮沢賢治

〔雨ニモマケズ〕/宮沢賢治 青空文庫

※この記事は2023/8/22にnoteに投稿した内容のコピーです
 
ホメラレモセズ クニモサレズ サウイフモノニ ワタシハナリタイ (青空文庫より)
ここが好き。
小学校の時に群読したような気がする。
この詩をさらに理解するための参考情報としてWikiを載せておくけれど、以下の「論争」については初見だったので記載しておく。
「ヒデリ」か「ヒドリ」か 最初の発表時から「ヒデリノトキハナミダヲナガシ」とされている箇所は、手帳の原文では「ヒドリノ……」と書かれている。これは清六はじめ、歴代の全集編集者が誤記とみなして校訂してきたものであるが、1980年代後半に花巻農学校での賢治の教え子の一人が「農家にとって日照は喜ぶべきものであり、『ヒドリ』は日雇い仕事の『日取り』を意味するもので『日雇い仕事をせざるを得ないような厳しい暮らしのとき』と原文通りに読むべきである」との説を提起した。これに対しては、「校本宮澤賢治全集」の編集者で草稿調査を行った詩人の入沢康夫が以下のような、校訂の根拠を提示した。 ・他の詩で「ひど」と書いて消し、「ひでり」に直しているものがある。賢治には「デ」を「ド」に誤記する書き癖があった。 ・次の行「サムサノナツハオロオロアルキ」と対照にならず、本作の他の箇所でも多用されている対照の手法からここだけはずれてしまう。 ・確かに農家にとって日照は重要であるが、過剰な日照による旱魃へのおそれは賢治も複数の作品で取り上げている。 研究者の間ではこの説明に沿って「ヒデリ」(日照り)への校訂がほぼ定着しているが、愛好者のレベルでは「ヒドリ」と読むべきだという人が存在している。それらの中には、「日取り」とは異なる根拠で校訂を不要とする以下のような見解がある。 1、「デ」と「ド」の誤記という見解について賢治の他の文章にそのような箇所があったとしても、手帳がそうであったとは言えないとするもの。 ・手帳の本文をみると、何箇所かに修正が入っている。  (例)ヨクワカリ→ヨクミキキシワカリもし「ヒデリ」を「ヒドリ」と誤っていたのであれば賢治は当然修正しているはずであり、賢治がそれを敢えてしていない[6]ということは賢治は「ヒドリ」と書いたと理解すべき。  この指摘に対しては、入沢康夫は、この手帳全体について行われた手直しは書きながらのものだけで、後から見直して行った修正はないと推測される(他の箇所で「諸仏ニ報ジマツマント」(正しくは「諸仏ニ報ジマツラント」)という誤記がそのままになっている)ことを指摘している[7]。 2、冷夏と旱([訓]ひでり)を「対応」させるのが妥当だという説明について、「ヒドリ」でも十分対応しているとするもの。 下記のような岩手県在住者の証言が2004年に地元紙『盛岡タイムス』に掲載された。 ・猛暑・炎熱によって目の炎症になることを「ヒドリマゲ」とも言い、今でも電気溶接者などが使用している。 ・方言の解釈は、その土地の風習風土から生まれた言葉(方言)や通称の土地名などを熟知していないと正しい意味がくみ取れないものであり、他県の賢治研究者は方言の発音語呂を共通語に結び付けて意味を重ね合わせて自己流に解釈された見本であると、賢治の生前を知る宮沢清六・森荘已池の両名が明言した[8]。ただしこの証言に関しては、長らく賢治全集の編集に深く携わった宮沢・森の両名がなぜ全集等に掲載された本作においてそのような表記を採用(もしくは変更)しなかったのかという説明がない。(Wikipediaより)
 

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